支援国について

カンボジア

SAJ事務局が見たカンボジア

1975年から1978年にかけてポル・ポト政権による自国民大量虐殺が起こり、人口の約1/4、約200万人が亡くなりました。ポル・ポトは教員や専門家といった知識層を徹底的に殺し、眼鏡をかけているだけで殺害をしてきました。さらに宗教を禁じ、寺院や学校を破壊し貨幣もなくしました。
それにより、現在も25歳以上の人は平均して4.8年しか学校教育を受けておらず、教育の必要性を理解している人が少ないのが現状です。

首都プノンペンの発展は著しく、道路の整備も進み、近代的な建物が増え、都市部では電気もあるため日本とほとんど変わらない生活ができるようになりました。一方農村部はトタンやヤシの葉で作られた家に住んでいる人がほとんどで農業に従事しています。
生活や教育の格差は大きく広がり、貧富の差に影響していきます。SAJでは子どもたちに教育機会と環境を提供することでこの格差を無くしていきたいと考えています。

テキストテキストテキストテキストテキストテキスト

カンボジアの子どもたち

子どもたちは早朝から、朝食の手伝い、家畜の世話、薪割り・薪拾い、水汲みなど家の手伝いをします。家計を助けるため、魚釣り、牛追い、畑仕事などをして働くこともあります。高学年の子どもは貴重な労働力になるため、学校に行けない子どもたちが沢山います。
親も日々の生活に追われてしまうため、子どもたちが学校へ行っても、経済的な理由や親の理解・関心の低さもあり、欠席や退学の原因となっています。

カンボジアの教育状況

カンボジア政府は初等教育を広める方針ですが、長い内戦の結果、学校数の不足・教員の不足で充分な効果をあげていません。
また教員の給与は、平均で月200,000リエル(5,000円)です。プノンペン市内で生活をするには月800,000リエル(20,000円)は必要なため、教職以外の副業に専念する教員も多数います。そのため授業が疎かになることも少なくありません。激減した教員の補充では正式な訓練や研修もないまま採用された人も多く授業内容は学校によって大きな開きがあります。
さらに地方では校舎の不足により、本来であれば1日通して授業をするべきところ、小学校は2部授業が当たり前、場所によっては中学校もせざるを得ない状況です。
それにより都市部と地方では教員の質の格差や授業時間数の差が問題となり、子どもたちの成績や進学に影響が出ています。

テキストテキストテキストテキストテキストテキスト

バングラデシュ

SAJ事務局が見たバングラデシュ

初めてバングラデシュの地を踏んだ時、人の多さに圧倒されました。
バングラデシュは人口約1億6千万人、面積14万4千平方キロメートル(日本の約4割)、人口密度世界一の国です。首都ダッカだけでなく、バングラデシュのどこへいっても老若男女でごった返しています。「アジア最貧国」と言われるだけあって、首都ダッカには多くのスラム街があり、物乞いをする人をよく目にします。
しかし、首都から少し離れた郊外の田舎町に行くと、そのような光景は極端に少なくなります。そこには最貧国と言われているほどの悲壮感が伝わってきません。昼は子どもたちが笑顔で外を駆け回って遊んでおり、学校を訪問するとノートや鉛筆がない中、勉強ができることに喜びを得ている子どもたちの姿があります。また、夜はお店にあるたった一つのテレビに大勢の近所の人達が集まり、賑やかに談笑し日々を過ごしている。そこには貧乏でありながらも助け合い、生活しているこの暮らしに幸せを感じている人も多いのではないかと感じる一面がありました。

バングラデシュの子どもたち

バングラデシュには教育を受けられない子どもたちがたくさんいました。
貧困の家庭が多く、子どもたちを労働力とし、日々の生活を過ごしていました。
この国の教育制度は小学校5年間・中学校3年間・高校2年間・college2年間、その後大学への進学となっています。卒業・進級率は、小学校に100名入学したとすると、大学まで卒業できる人はたった一人でした。
しかし、現在では政府が子どもを学校に行かせるために1人につき、12キロのお米を配布しています。これにより小学校では、就学率は97%に上昇し、修了率は80%以上になりました。政府は初等教育就学率・修了率100%を目指しています。

教員の指導力不足

教員の指導力不足により、進級・卒業率が低いという問題があります。
バングラデシュでは教員の給与は一般企業と比べてとても低いため、ほとんどの小学校では近所のお母さんが教えています。
教員が教えなければいけない授業内容を理解していないことがあり、成立していない授業も多く見られます。
また生徒に物事を理解させるよりも暗記させることに重きが置かれており、考える力を養うことが難しいのが現状です。

過去の支援国実績

ネパール

SAJ事務局が見たネパール

SAJでは2004年9月にネパールの首都カトマンズに隣接する、カブレプランチョック郡の公立学校を13校調査しました。公立学校は山頂や、山の中腹に作られ、麓から4時間歩く学校もありました。公立学校の校舎は狭く、電気も机もありません。薄暗い部屋の土間に児童が座って勉強をしていました。
そのような環境の中で真剣に勉強する児童の表情がとても印象的でした。

生徒の進級・卒業率
学校への入学状況

ネパールの小学校は5年生までです。農村部では家庭が貧しく、退学~入学、を繰り返す児童が多くいます。特に女子は小さい頃から家事を手伝い、畑仕事を覚えることが優先となって、就学率は低くなっています。貧しい家庭では子どもは貴重な労働力なため、早くに学校を退学させてしまう場合もあります。そのため小学校を卒業する児童は、入学時の約3分の1になります。

日本

東日本大震災

2011年3月11日の東日本大震災発生後4日目にSchool Aid Japan(SAJ)はトラックに満載した救援物資を宮城県に運びました。その後、2011年6月財務大臣の指定寄附も受け、宮城県に水・食糧をはじめとする救援物資を33回、県庁から指定された場所に運びました。その合計支援金額は42,947,700円に上りました。
災害復旧が進まない岩手県陸前高田市からの要請で瓦礫撤去などのボランティア派遣を72回実施しました。東京を前夜10時に発ち、翌日は夕方まで瓦礫撤去作業を行い、夜に東京に帰ってくるという強行軍でしたが、個人や団体の申し込みが多く、予定していた日程より早く活動を終了することができました。
2011年7月28日、29日、物と人の支援に次いで、被災地の方々の心の支援をするために、陸前高田市において「陸前高田市復興街づくりイベント」を開催しました。両日とも快晴に恵まれ、被災地から1万5千人、県外から2500人の方々が参加してくださいました。
ちりぢりになって住まわれている方々も多く、会場では再会を喜ぶ人たちの輪ができました。また、家屋が流されてしまった商店や会社の方々も昔の味を再現した商品を並べ、地元の人々の大歓声を受けていました。そこには地元の人を大事にする商店や会社の方々の気持ちが滲み出ていました。
これらの資金は財務大臣の指定寄附をいただいたお陰でたくさん集まりました。また、指定寄附以外にも、経営勉強会やおせちの配布活動なども行いました。寄附していただいた皆様のご支援ご協力に感謝申し上げます。 (指定寄附の活動は2012年10月末をもって終了しました。)

  • Instagram

  • Facebook

  • YouTube